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50年かあ・・・塩竈神社の多羅葉・・

 2022年8月9日(火)その2・・・です。

ブログ再開のきっかけになることがいくつかありました。そのひとつが小学校時代の恩師のお子さんから届いたお手紙です。小学校の時担任をしていただいた先生とは、一昨年まで年賀状のやり取りが続いておりました。卒業依頼お目にかかる機会もなかったのですが、毎年一筆添えてくださる賀状がとても楽しみでした。しかし、昨年の賀状は同居されているお子さんからのもので、体調を崩されていたことを知りました。そして年末に喪中のはがきが届きました。一周忌を前に突然で失礼とは存じましたが、先生の思い出などを綴った手紙を添えて供物を送らせてもらいました。その後、息子さんからご丁寧な御礼の品と礼状が届き、さらには娘さんからも地元の品々を詰め合わせたものとお手紙を送っていただきました。大変ありがたく、本当に嬉しいご対応をしていただきました。

お亡くなりになった先生は私の親と同世代でしたので、お子さん(娘さん)と私も同世代。隣町にお住まいでしたが、知らないところで私の小学校や中学校時代の友人や知人と繋がりを持たれていたことが、お手紙から判明し驚きの連続でした。お手紙の中にあった懐かしい名前、名前を目にして、錆びついていた当時の記憶がどんどん蘇ってきました。そしてあるものを探し出すべく腰を上げたおじさんがおりましたとさ・・・そして、見つけ出したのが下に貼る集合写真と葉っぱです。


塩竃&松島_表.jpg
 5年生のとき遠足に行った松島でのクラスの集合写真と、塩竈神社の多羅葉の葉です。松島までは塩釜から遊覧船で向かったのですが、その前に塩竈神社にも寄りました。船上、隣席していたクラスの女子が塩竈神社で拾った葉を1枚分けてくれました。さらに別の女子がピンどめで葉の裏に私の名前と日付を刻んでくれたことを思い出したのです。
 
塩竃&松島_修正2.jpg
昭和47年5月14日と書かれています。右には修正してますが、名前もしっかりと。 神社で説明を受けたように確かに長い間文字が残っておりました。昭和47年は1972年ですからちょうど50年前ですか・・すごいものですね。
以前、記録を残す方法としては書面に残すほうが、デジタルデータよりも全然長期間保管できる・・・といった記載を目にしました。しかし書面は焼けてしまったり、虫喰にあったりする危険性がある。最も確実な方法は石に刻むことだ・・という結論に妙に納得したことを思い出しました(笑)。おっと、いつものことながら話が逸れましたが・・この葉っぱに名前と日付を刻んでくれたクラスメイト(記憶違いでなければ・・)が、お手紙を下さった恩師の娘さんと現在に至る友人だというのです! なんとも驚きました。
 そんなわけで、私の回顧スイッチが入ったのですが、お手紙を頂いた翌日にもびっくりしたことや、スイッチも実は第2スイッチだったことなどは、長くなりましたので次回以降に書こうと思います。
 
 
おじゃがす
 
追記:多羅葉は『葉書』の語源・・という説もあるようです。

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